対話ごっこ
ご機嫌ようでございます。Honey-Kです。
カフェりながら戯言を
その感情は誰のもの?
あけましておめでとうでございます。Honey-Kです。
休職を始めて、もう1ヶ月が経とうとしているのですね。時間の流れはゆっくりしているように感じていましたが、意外に早いようです。
何をしているかといえば、ぐったりしていて、何か起きる理由がない限りは横になっています。夜8時まで起きられなかった日もありました。とても重いのです。
少し気分の出る日は、外に出て、カフェったり本を読んだり、最低限の家事をしています。掃除はほとんどできていませんが…。
本日は、12月のカウンセリングの時に言われたことについて、ふと思い返してみたくなったので、書きつけてみます。
私が精神的不調を起こした一つの理由に、怒られることが積み重なっていたことが挙げられます。よく、怒られた人を励ますために、使われる言葉がいくつかあります。
例えば、
「新人は怒られるのが仕事」
「怒られるのは期待されているから」
「怒られたのはその人の態度・行動であって、その人自身ではない」
などなど…
私も、休職前に落ち込んでいた時に、このような言葉に出会いました。しかし、どれ一つとして共感できるものはありませんでした。
そして、カウンセリングでもう一つ、新しい言葉に出会いました。
それは、
「相手に"怒られた"のではなく相手が"怒っている"のだ」
すなわち、怒るという感情は相手のものであって、自分のものではない。ということです。自分のものではないので、"怒られた"という表現にはならないのです。
この言葉を聞いた時、正直ピンとこない、という気分でした。しかし、この言葉からは一つ気付かされることがあります。
それは、ある事象に対する受け取り方は自分次第なのだということです。
すごく当たり前のことを言っていますが、少なくとも私は相手の感情に敏感になり、悪い方に捉えすぎているということに気付かされます。
カウンセリングでは、以下のような会話がありました。
先生「叱られた時、どんな気分になりましたか?」
私「ちょっと落ち込みました。」
先生「数字で表したら、どのくらい落ち込みましたか?」
私「んー…80%くらいです。」
先生「"ちょっと"なのに80%もですか?」
そうなんです、自分ではちょっと注意されたくらいのはず、と頭では考えていますが、心の中で実はとても引きずっているのです。なので、私の思考は、"どうしてこのくらいで落ち込んでしまうのだろう。自分はなんてダメ人間なのか"という結論に至ります。
ですが、現実の自分は実はヤワヤワなのです。なので、本当はハードルを下げるか、心を鍛えてレベル上げをするのが最も現実的な方法なのです。
今の私の状況は、これら現実的な方法の両者からアプローチしていると言えます。休職することで怒られる状況から回避してハードルを下げ、その上で、カウンセリングをしてもらったり本を読んだりすることで、心のレベル上げをしていると言えます。
少し話が逸れてしまいましたが、私に限らず、うつやそこまで行かなくても落ち込んでいる方は、悪い思考ループにはまっていると思います。これは、多くの本やインターネットの情報で語られている通りです。これに対しては、それに気づくこと(気づくというのはただ情報を眺めているだけでなくて、ピンとくるということが大切かと思います)と悪く受けとめない努力をしていくことが必要です。
前回のカウンセリングで、毎日楽しかったことや心地よかったことを書き、夜寝る前にそれを思い出す、という課題を出されました。これは、ポジティブな思考回路を作るレベル上げ・努力に相当します。
何もやる気が出ないならば、無理に何もする必要はないと思いますし、私もそのような気分の時は何もしません。ですが、心の辛い状況から抜け出したいと考えていて、かつ少し元気が出てきた時は、思考回路を鍛えておくと良いのかもしれません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、今日はこの辺で。
心が空になる
自分にとって辛いなら
友人と同期
なぜなぜしたい
御機嫌ようでございます。Honey-Kです。
お題スロットで助走してきたので、そろそろ自分の頭から何か出てこないかなーと考えた結果、少し今までより堅い話になりそうです。
折角はてなブログを始めたので、他の方のブログもふらっとお邪魔しに行ったりとかしてみたのですが、トップエントリに上がるような記事ってよくそこまでアウトプットできるなぁと感心してしまいます。
皆様に読まれるような記事を書こうとはあまり思ってないのですが、アウトプットができるような人間になりたいなーとは思うのです。だから、ブログを始めたのだと思います。
なぜなぜ分析というのをご存知でしょうか?これは、品質管理などでミスの原因を特定するのに使われる考え方です。一つの事象に対して、5回程繰り返し"なぜ?"を問います。
この思考はミスを原因を特定するだけでなく、普通に文章を読むなどのインプットの際にも使えると思います。普通はそんなになぜなぜしなくても、とも思われるかもしれませんが、個人的にはそれくらいの疑問を持つ姿勢でいないと、アウトプットできるような人間にはなれないのかなぁなんて考えています。
それでは、今日はこの辺にて。